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故郷の立ち位置

2025-12-12 10:42:03
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自分の故郷は千葉県柏市の、JR柏駅から徒歩で20分半径の辺りです。親が西口方面に店を持っていたため、小学生から大学卒業までの長い間、放課後には店にいる生活をしていました。商店街、繁華街、治安が悪いとか言われがちなところでのんびり暮らしていました。

東北新幹線は影も形もなかった時代でしたから、柏駅周辺の喫茶店にはいかにもビジネスマンといったいでたちの人々が商談をしていました。首都圏と東北地方をつなぐにちょうどいい規模の街だったのでしょう。また、家出少女たちも空きビルの中に勝手に入り浸っており、警察にももちろん言いましたがテナントの入っていない階をちゃんとシャッターで閉めるようオーナーさんに伝えたりなどもしていました。みんな私のことを知っていたので、聞き入れてくださったのでしょう。

周りはおとなばかりでした。それはそうです。両親が経営していたのは床屋で、言うまでもなく男性ばかりでした。確かに皆さんはちやほやしてくれたのですが、私は女の子っぽいものではなく男の子っぽいものの中でもシンプルなものを好んで身に着けて自分を彼らに馴染ませる方へ向いて行きました。

繁華街は治安が悪い、とかトラブルが多い、といったところがいつも気にかかっていました。そういえば、安全も。阪神淡路大震災の時、報道を見ながら父は「あそこに行って、仮設の店をやろうと思う」と言ったのですが、私はしばらく黙っていました。「どうだろうか」と再び聞かれた時、私は一緒に行ってもいい、と答えました。ただ、ガスや水道、電気のない状況でどうやって今うちでやっているようなことができるか、わからない、と答えました。当時の私は個人で持てる発電機があるとか、ガスの缶が存在するとか、そういうことを知らなかったのです。インフラは都市的なものしか知らなかった。近所のおじさんが酸素ボンベを運んできてもらっているのは知っていたけれども。

父は広島市の生まれでした。東京圏より大阪圏のことをよく知っていたはずです。ああ、あの時もう少し私にも協力するための知識があればどんなによかっただろう。災害の時はこういった街が人を介して深く繋がっていることを思い出しています。

この記事を書いた人

Alisa

テキストはこれだからやめられない